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第1部 第2章 日本国憲法史

一、明治憲法の特色 二、日本国憲法の成立経過


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二、日本国憲法の成立経過




1945年(昭和20年)、日本は太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗北し、連合国軍総司令部(GHQ)からポツダム宣言を受諾しました。

ポツダム宣言とは日本に軍国主義排除、民主主義、基本的人権の尊重、を確立せよ、という内容のものでした。





このポツダム宣言を受諾してから、日本国憲法が制定されるまでの経過には、様々な紆余曲折がありました。

まず、ポツダム宣言の内容の一つである国民主権を政府(ときの内閣、幣原喜重郎内閣)はとても嫌がりました。
政府は天皇主権のままにしたかったのです。

そこで、松本蒸治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を開いて「憲法をこのように改正します」と、松本案を作成しました。
その内容は今までの明治憲法と、ほとんど変わらない内容でした。



この松本案は1946年2月8日にGHQに提出しました。
しかし、その前の2月1日に毎日新聞にスクープされ、GHQのマッカーサー元帥の知るところとなりました。

マッカーサーは「これじゃ前を変わらんじゃないか!こういう風に改正しなさい!」と、
マッカーサー3原則(マッカーサーノート)を提示しました。その内容は天皇主権を否定するものでした。



このマッカーサー3原則の案を日本語に翻訳するという形で、日本国憲法ができていきました。

日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。






【まとめ】
第一部 総論
第2章 日本国憲法史
二、日本国憲法の成立経過

・1945年(昭和20年)、日本はポツダム宣言を受諾した。
ポツダム宣言の内容は軍国主義排除、民主主義、基本的人権の尊重、の確立を
要求するものであった。

・GHQのポツダム宣言に対し、日本は松本案をGHQに提案したところ
明治憲法と内容がほとんど変わってなかったため、GHQはマッカーサー3原則を示した。
マッカーサー3原則をもとに日本国憲法が制定された。


                     ケンくんノート


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