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第2部 第12章 社会権

一、生存権  二、教育を受ける権利  三、労働基本権


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一、生存権



本章(13章)では、社会権について説明します。


社会権とは、社会的・経済的弱者が人間らしい生活ができるように国家の積極的な介入を求めることができる権利です。

社会権は、国家による自由です。社会的・経済的弱者を守るために保障される権利だからです。








まさにその通りです。社会権は歴史的に見て比較的新しい人権です。

国民が国家に対し「ほっといて!」ではなく「何とかして!」と求める権利です。

社会権の種類として

一、生存権、
二、教育を受ける権利、
三、労働基本権、

があります。それぞれ説明していきます。



1 憲法25条 生存権



まずは生存権について説明します。
憲法25条1項生存権を保障を規定しています。

生存権とは、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利のことです。


25条1項の趣旨を実現するために、2項では国に生存権を具体化するよう努力する義務を課しています。
これを受けて国は法整備を図っているのです。




2 生存権の法的性格



生存権の法的性格として3つの学説が関連しています。プログラム規定説抽象的権利説具体的権利説です。

プログラム規定説とは、憲法25条は国民の生存を国が確保すべき政治的、道義的目標を定めたにすぎず、具体的な権利を定めたものではない、とする考え方です。

つまり、国に課されている生存権を実現する義務は、努力すればよい、全ての国民に必ずしも最低限度の生活を保障しなくてもよい、それに向けて努力してさえいればよい、という考え方です。

具体的権利説とは、憲法25条は生存権の内容を具体的に定める法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟を起こすことができる、とする考え方です。
具体的権利説は、プログラム規定説と反対に最も強く生存権を保護する考え方です。

抽象的権利説とは、生存権は直接25条に基づいて訴えを起こすことはできず、生存権を具体化する法律があって初めて訴えを起こすことができる、とする考え方です(通説)。
抽象的権利説はプログラム規定説と具体的権利説との中間に位置しています。


朝日訴訟では、生活扶助費月額600円を受給している朝日氏が、この額では25条の「最低限度の生活水準」を維持するには足りないとして、裁決の合憲性が争われました。


朝日訴訟では、生存権は、国に国民の生存を確保すべき政治的・道義的義務を国に課したにとどまり、具体的請求権を保障したものではない、としました。

何が最低限度の水準かは、厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられるとしました。

プログラム規定説を採用した、と考えられています。


もう一つ、堀木訴訟という判例でもプログラム規定説が採用されました。

堀木氏は障害福祉年金を受給していましたが、児童扶養手当は併給禁止にあたるとして受給できませんでした。
児童扶養手当法の併給禁止規定の合憲性が争われた判例です。

最高裁は、併給禁止規定は、立法府の広い裁量に委ねられているとしたのです。

しかし、朝日訴訟と異なる点があります。
朝日訴訟では立法の広い裁量に委ね、裁判所は一切裁判所が判断できない、という判示でした。

しかし、堀木訴訟では著しく不合理であることが明白な場合、裁判所も判断する余地がある、としました。
朝日訴訟よりはほんの少しですが、権利性を認めるようになったのではないか、一歩前進したのではないか、という評価がされている判例です。








3 環境権



環境権とは、良い環境を享受する権利です。
憲法上どこにも環境権という文言はありません。

環境権は、憲法成立後に提唱された新しい人権なのです。

環境権が示す「良い環境」とは、

@自然的な環境(大気や水、日照など)に限る、とする説(多数説)と、
A文化的・社会的環境(遺跡、寺院、学校など)も含む、とする説があります。

@が多数説とされている理由は、もともと環境権は公害問題に対処するための権利としてうまれたものだからです。
Aまで含んでしまうと相対的に権利性が弱まってしまうからです。


1960年代の高度経済成長期に経済の急速な発展によって産業が盛んになりました。
しかし、その弊害として、公害が大きな社会問題となりました。

それを受けて環境権が考えられるようになったのです。

公害とは、企業活動によって自然的な環境が破壊されることです。
例えば大気汚染や、水質汚濁などのことです。

高度経済成長期は公害が多発してしまい、公害によって人の生命や健康が害されてしまいました。
そこで、被害が生じる前に公害を除去し、減少することが必要だと考えられるようになりました。

公害を除去・予防する権利の根拠として、環境権が唱えられるようになったのです。


環境権の根拠条文は、一般的には、13条の幸福追求権が根拠条文とされています。
環境権は人格権のひとつだと考えられているのです。

ただし、最高裁は、環境権を真正面から認めたことはありません。








環境権は自由権的側面社会権的側面を持っています。

国家からの自由(自由権)だけでは良い環境を享受することはできません。
国家による自由(社会権)が必要です。

例えば、工場の排気ガスを制限したり、物を作る際の環境基準等が必要です。

つまり、環境権は、国民が国家に対して、良い環境を享受できるよう積極的な環境保全や改善のための施策を求めることができる権利でもあります。



【まとめ】
第2部 基本的人権の尊重
第12章 社会権
一、生存権

1、憲法25条1項は生存権を保障を規定している。生存権とは、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利のことである。

2、朝日訴訟も堀木訴訟もプログラム規定説を採用した。朝日訴訟では立法の広い裁量に委ね、裁判所は一切裁判所が判断できない、という判示だった。しかし、堀木訴訟では著しく不合理であることが明白な場合、裁判所も判断する余地がある、とした。

3、環境権とは、良い環境を享受する権利である。
                     ケンくんノート


第2部 第12章 社会権 一、生存権 おしまい

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