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第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由-

一、表現の自由の意味  二、表現の自由の内容  三、表現の自由の限界  四、集会・結社の自由、通信の秘密


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四、集会・結社の自由、通信の秘密

1 集会の自由



憲法22条1項では集会の自由の保障が規定されています。
集会の自由とは多くの人々が共通の目的を持って特定の場所に集合する自由です。


集会の自由は表現の自由の一形態です。
集会することによって人々は色んな意見・情報に接して成長することができます。

集会はお互いに意見・情報を伝えあったりする場として大切なのです。
さらに集会は外部に意見を発表することもできます。

したがって判例も集会の自由は、重要な基本的人権として特に尊重されなければならない、としています。
集会の自由には自由権的側面、施設利用の請求権的側面、市民への給付という側面、と色々な側面があります。

例えば面白い本について語りあう集いがあったとします。
その集いが集会を開くことは自由です(集会の自由の自由権的側面)。

さらにその集いは集会をするにあたって、市など公共団体に対し施設を使わせてほしい、と請求することができます。

このとき公共団体は市民へ施設を使っても良いですよ、と場所を提供しました(集会の自由の請求権的側面、集会の自由における市民への給付の側面)。

その施設内で面白い本について、集会の人々が意見や情報を伝えあいます。

こうして集会の人々はお互いに成長しあうことができます。
加えてこの集会の人々は、これこそが一番面白い本だ、と外部に発表することもできるのです。


だからといって、集会の自由は無制限に認められるわけではありません。
集会の自由はたくさんの人が集まる場所での表現活動です。

したがって他の人たちとの権利・利益と衝突してしまうこともあります。
衝突しないよう調節するためには必要最小限度の規制をしなければなりません。

集会の自由にされた規制が争われた判例として、泉佐野市民会館使用不許可事件があります。
この事件では、集会をしようとする人々の集会の自由と、公共施設管理者の権利・利益との衝突がありました。

集会をしようとする人々(原告ら)にはもちろん集会の自由があります。

これに対し、公共施設管理者(被告ら)はこの集会を当施設で行なうことによって、他の人たちの妨害行為が起きるおそれがある、として施設の利用を拒否しました。

しかし、ただ単におそれがある、というはっきりしない理由で集会の自由が規制されることは許されない、と原告らは訴えを起こしました。


泉佐野市民会館使用不許可事件では、公共施設の利用が拒否できる理由を明確に示しました。

公共施設の利用を拒否できるのは、利用の希望が競合する場合か、他の基本的人権が侵害される明らかな差し迫った危険が予見される場合である、としました。





2 集団行動の自由



憲法21条では集団行動の自由の保障を規定しています。
集団行動とは、集団で行動すること、主にデモ行進のことをいいます。デモ行進とは動く集会と考えてよいでしょう。

集会は言論を発するだけです。しかし、集団行動は行動をともないます。
したがって、とくに他の国民の権利・自由との調整を必要とします。

集会の自由とは違う特別な規制に服することになります。


集団行動の自由の規制として合憲性が争われたのは自治体の公安条例です。
自治体とは都道府県のことです。公安条例とは条例の一種です(条例については17章参照)。

自治体は公安条例によって秩序維持のために集団行動の自由を規制しており、違憲ではないのか、と争われました。

例として東京都の東京都公安条例事件を挙げます。

この事件はデモ行進をしたい人たちに対し、東京都は公安委員会の許可が必要だ、としました。
デモ行進をしたい人たちは、憲法で集団行動の自由が保障されているのに、なぜ都の許可が必要なのか、と訴えました。


東京都公安条例事件では、集団行動を行なうにあたって東京都の許可を必要とすることは合憲である、としました。

東京都は集団行動をたしかに許可制としているが、実質的には届出制と変わらない、という理由からでした。

また最高裁は、集団は暴徒と化すおそれがあるとも述べました(集団暴徒化論)。

しかし、届出制なら、集団行動自体はまったく自由だという前提があること、通知するだけで事足りること、等が成り立っていなければなりません。

許可制にしているけれど、不許可の場合の救済制度も全くない等、理論に矛盾が多いのです。
公安条例はもっぱら治安維持のためにある、としていることに批判が強い判例なのです。





3 結社の自由



憲法22条1項では結社の自由の保障も規定されています。
結社の自由とは共通の目的を持ったたくさんの人が集まって継続的に結合する自由です。









結社の自由は団体を結成して加入する自由はもちろんのこと、加入しない、脱退する、といったことの自由も保障しています。

しかし例外もあります。

弁護士会や税理士会などのように専門性の高い職業団体については強制設立・強制加入制が許されています。
当然ですが、犯罪を行うための結社は許されていません。

4 通信の秘密



21条2項後段は通信の秘密の保障を規定しています。意義が2つあります。

1つ目は公権力のよる通信探索を防止することで政治的表現の自由を確保するためです。
2つ目は特定人の通信の秘密を守ることで私生活の自由を保護するためです。

ここでいう通信とは郵便、電報、インターネット通信などあらゆる通信手段全てのことをいいます。




しかし、どんな場合でも通信の秘密が保障されるわけではありません。

例えば刑事訴訟法では被告人の郵便物は押収できます。
破産法では破産者宛の郵便物の開封ができます。一定の制限があるのです。

これらの合憲性については争いもありますが、なかでも一番問題になっているのは刑事捜査による通信傍受です。

刑事捜査による通信傍受とは、刑事が犯罪捜査をするために犯人の電話などの通信を傍受して捜査や取締りに役立つ情報を得ることをいいます。









ところがそう単純な話ではありません。
最高裁通信傍受判決でも一定の条件下での検証令状に基づく通信傍受は許される、としましたが批判がありました。

批判の内容は、対象者に令状の呈示が出来ない、被疑事実と無関係な会話まで傍受してしまう、といったことでした。


【まとめ】
第2部 基本的人権の尊重
第9章 精神的自由権2-表現の自由-
四、集会・結社の自由、通信の秘密

1、集会の自由は表現の自由の一形態である。
  判例では公共施設の利用が拒否できるのは、利用の希望が競合する場合か、
  他の基本的人権が侵害される明らかな差し迫った危険が予見される場合に限られる、
  とした。

2、集団行動の自由は行動をともなう。よってとくに他の国民の権利・自由との
  調整を必要とする。集会の自由とは違う特別な規制に服する。

3、結社の自由は団体を結成してそれに加入する自由はもちろんのこと、
  加入しない、脱退する、といったことの自由も保障している。

4、通信の秘密の意義は2つ。1つ目は公権力による通信探索を防止し、
  政治的表現の自由を確保するため。2つ目は特定人の通信の秘密を守り、
  私生活の自由を保護するため。


                     ケンくんノート


第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由- 四、集会・結社の自由、通信の秘密 おしまい

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