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第2部 第8章 精神的自由権1-内心の自由-

一、思想・良心の自由  二、信教の自由  三、学問の自由


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二、信教の自由

1 明治憲法の信教の自由



信教の自由は色々な国で保障されています。
明治憲法下でも信教の自由を保障していました。

しかし、明治憲法下では国教(神社神道)のみを信仰することが強制され、他の宗教を信仰することを禁じていました。
国教とは国から特権を受けている宗教のことです。国教のみの信仰は、軍国主義的思想の支えになってしまいました。










こうした歴史的背景から、日本国憲法では国教を強制的に信仰させることを排除しました。
これを国教分離といいます。

個人の信教の自由を厚く保障して、国家と宗教との分離を明確化したのです。



2 信教の自由の内容と限界






もちろん構いません。
信教の自由には、@信仰の自由、A宗教的行為の自由、B宗教的結社の自由が含まれます。

@信仰の自由とは、宗教を信仰、又は信仰しないことの自由のことです。内心における自由のため絶対に侵されません。
A宗教的行為の自由とは、礼拝や祈祷などの宗教的行為を行う自由のことです。
B宗教的結社の自由とは、宗教団体を結成する自由のことです。



A宗教的行為の自由について争われた判例があります。加持祈祷事件です。


加持祈祷事件では、加持祈祷という宗教的行為が、宗教的行為の自由として無制限に保障されるのか、が争われました。

判例は、宗教の加持祈祷行為でも人を死に至らすような場合は宗教的行為の限界を超えている、としました。
したがって、祈祷師を処罰することは違憲ではない、としました。

宗教的行為の自由は、他の人の利益を侵害する場合は制限を受ける、としたのです。
つまり、宗教的行為の自由は、公共の福祉の制限を受けるのです。

B宗教的結社の自由も公共の福祉の制限を受けます。

他の人の利益を侵害する宗教的結社は制限を受けます。
例えば、偽札を作るのが目的の宗教は結社してはなりません。他の人の経済的利益を侵害するからです。


以上をまとめるとこのようになります。


信教の自由に対する制限を考えるときは、あくまでも他の人の利益と衝突するときの外部的行為だけが制限される、ということです。

その宗教の教義そのもの否定したり、それを理由に行為を制限することは許されません。

信教の自由に対する制限について争われた判例に、神戸高専事件があります。


神戸高専事件では、生徒が信仰上の理由から体育科目の剣道を履修拒否しました。

すると、学校側はこれを単位不足として留年させました。
翌年も学生が剣道を履修拒否し、学校側は単位不足として留年させました。

2年連続で留年したため生徒は退学処分とされてしまった、という事件です。

生徒は学校側に対し、退学処分理消しを求めて訴えました。
判例は学校側の退学処分を違法である、としました。
正当な理由のない履修拒否と区別せずに代替措置もとらなかったからです。




3、国家と宗教の分離の原則(政教分離の原則)


憲法20条1項後段は「いかなる宗教も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定め、3項は「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めています。

つまり国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示しているのです。








その通りです。特定の宗教団体だけをひいきすることはできません。
このように国家と宗教の関係を引き離すことを政教分離といいます。

憲法89条では宗教団体に公金の支出をすることを禁じています。
公金とは公(おおやけ)のお金のことです。
国民みんなが納めた税金を宗教団体に与えてはならない、ということを憲法89条が規定しています。

しかし政教分離といっても、政治と宗教を完全に分離させることは大変難しいのです。

例えば、青山学院大学や立教大学などはキリスト教系の学校です。
政教分離ということで、他の大学には補助金を与えて、青山や立教には補助金を与えない、ということは法の下の平等に反します。

したがって国家と宗教の結びつきがどんな場合に、どれだけ許されるのか、について問題になります。

問題となり、裁判によって争われた場合、アメリカの判例では目的・効果基準論という基準が使われてきました。
日本もこれを当てはめて違憲か合憲かの判断をしています。

目的・効果基準とは、目的と効果の2つに着目して政教分離に反するか反しないか、を判断する基準のことです。

目的とは国の行為の目的が宗教的意義を持つかどうか、ということです。
効果とは行為の効果が宗教を援助、助長、促進、圧迫、干渉となっているかどうか、ということです。

この目的と効果を基準として判断します。

目的・効果基準がまだイメージしにくいと思います。
目的・効果基準論を最初に示した判例は津鎮祭事件です。

津鎮祭事件では地鎮祭のお払いをした神主さんへの謝礼やお供え物に公金が使われたことが政教分離に反するのではないか、と争われました。


津鎮祭事件では、地鎮祭は目的・効果基準に抵触せず合憲である、としました。

地鎮祭を目的・効果基準に照らし合わせます。

まず目的について着目します。
地鎮祭の目的は土地をお払いして土地の平安を願ったり、工事が無事に完了するよう願ったりするものです。

何らかの宗教的意義はありません。
もしこのお払いをしている神主さんが布教をするために地鎮祭をしたのなら、目的に宗教的意義があるとされます。

しかし、ここではあくまで土地の平安・工事の無事を願うのが目的だからです。
よって、目的に宗教的意義はなく目的の要件はクリアです。

続いて効果に着目します。
効果は一般的な慣習にすぎない、としました。

一般的な慣習にすぎない、とは私たちが日常生活でクリスマスにツリーを飾ったり、節分に豆まきをするのと同様の程度のことである、という意味です。

地鎮祭をした神主さんに援助、助長、促進、圧迫、干渉、といった効果はもたらさない、としました。
効果の要件もクリアです。

したがって地鎮祭に対する公金支出は合憲とされました。


愛媛玉串料事件では、愛媛県知事が靖国神社、県護国神社に県の公金から玉串料を奉納しました。
これに対し住民がこの公金支出は違憲である、と訴えを起こしました。


愛媛玉串料奉納事件では、玉串料奉納は目的・効果基準に抵触するため違憲である、としました。

愛媛玉串料奉納事件を目的・効果基準に照らし合わせます。

まず目的について着目します。
玉串料とは、靖国神社・県護国神社の祭祀において神前に供えるものです。

奉納された玉串料は祭祀の際に宗教上の儀式を行なうために使われます。
したがって玉串料奉納は宗教的意義を持つ、としました。

玉串料奉納は一般的な慣習とはいえず、地鎮祭とは区別すべきだ、としたのです。
目的に宗教的意義があり、目的の要件はクリアできていません。

続いて効果に着目します。
玉串料奉納のもたらす効果は、県知事が玉串料を奉納した宗教団体だけを援助・助長・促進したことになります。

他の宗教団体には同様の支出をしていないので、他の宗教団体にとっては圧迫・干渉となります。
したがって玉串料奉納は特定の宗教団体に援助、助長、促進、圧迫、干渉、といった効果をもたらす、としました。
効果の要件もクリアできていません。

したがって県知事の玉串料奉納は違憲とされました。



【まとめ】
第2部 基本的人権の尊重
第8章 精神的自由権1-内心の自由-
二、信教の自由

1、歴史的背景から日本国憲法では国家と宗教の分離を明確化している。

2、信教の自由には、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由が含まれる。
宗教的行為の自由は信仰の自由と違い制約がある。

3、・憲法20条では国家の宗教的中立性を述べている。
  ・現実的に完全な政教分離は難しいため、相対的な政教分離の形をとっている。
  ・国家の政教分離がなされているか否かは目的・効果基準論を用いて判断する。
  ・津地鎮祭事件において地鎮祭は世俗的行為のため公金支出も違憲とならない、
  とした。

                     ケンくんノート


第2部 第8章 精神的自由権1-内心の自由- 二、信教の自由 おしまい

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