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第2部 第7章 包括的基本権と法の下の平等

一、生命・自由・幸福追求権  二、法の下の平等


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一、生命・自由・幸福追求権

1 社会的権力と人権


本章(7章)では、包括的基本権に分類される生命・自由・幸福追求権法の下の平等について説明します。


1 幸福追求権の意義


憲法13条では生命・自由・幸福追求権の保障を規定しています。


生命・自由・幸福追求権は一般に幸福追求権といいます。ここからは幸福追求権という呼び方で説明します。

幸福追求権とは、憲法15条以下の人権新しい人権を保障するものです。

幸福追求権の従来の意味は、憲法15条以下に列挙された個々の人権(自由権や参政権等)を保障する、という意味でした。
しかし、社会や経済が発展するにしたがって人々の生活が多様化し、憲法15条以下の人権を保障する、というだけでは法的に対応できなくなってしまいました。

そこで、憲法に列挙されていない人権も幸福追求権で保障されるべきだ、とされたのです。


社会の発展に伴って従来の人権よりも保障する範囲が広がった、ということです。


したがって、幸福追求権とは憲法15条以下の人権と新しい人権を保障するものである、といえます。
当然、新しい人権は憲法の文言には列挙されていません。

憲法に列挙されていなくても、幸福追求権によって導かれる権利が保障されることを示した判例として、京都府学連事件があります。


京都府学連事件では、デモ活動をしている被告に対し巡査が写真撮影をしました。
被告は巡査の撮影行為に腹をたて巡査に暴行を加えました。

被告は起訴されましたが、巡査の撮影行為は違法な職務行為だと主張しました。

判例は「肖像権」とまではいわないものの、個人は容貌をみだりに撮影されない自由を有する、と判示しました。

幸福追求権に基づいて導かれる権利は広く全体的に及ぶ権利です。
そしてこの幸福追求権によって保障される個々の権利を具体的権利といいます。

具体的権利というのは裁判上の救済を受けることができる権利という意味です。
この考えが通説・判例です。








良い質問です。ケンくんの言う幸福追求権の内容は一般的行為の自由という考え方です。

たしかに幸福追求権は広く人権を保障しています。
しかし、何でもかんでも人権ということにしてしまうと人権の価値が希薄化してしまう、ということで一般的行為の自由の考え方は批判されています。

通説的見解は人格的利益説といって、個人の人格的生存に不可欠な利益を保証する、としています。


2 幸福追求権から導き出される人権






新しい権利として、プライバシーの権利、環境権、日照権、眺望権、嫌煙権・・・、等々、多数主張されてきています。









そうです。判例が正面から認めたのはプライバシーの権利ぐらいのものです。
このプライバシーの権利には肖像権、前科等を公開されない利益等があります。

その他の権利はまだまだ争いがあって、問題とされています。

プライバシーの権利を認めた判例として前科照会事件があります。


前科照会事件では、前科・犯罪経歴は人の名誉・信用にかかわり、これをみだりに公開されないのは法律上の保護に値する利益である、としました。







3 プライバシーの権利






いやいや、良い質問です。アメリカの判例では「ひとりで放っておいてもらう権利」として発展してきました。
わが国日本の判例では明確な定義づけはしていませんが、私生活をみだりに公開されない権利、としています。

プライバシー権はみだりに私生活を公開されないというだけでなく、私生活に関する情報を収集されない、という自己に関する情報をコントロールする権利としてとらえられています。

どこで何をしてるか、何が趣味で、何の本を読んでるか、何の音楽を聴いてるか、どんなお店に通っているか、等の個人情報が国家に収集されたら気が気ではありません。


そこで自己に関する情報をコントロールする権利は、みだりに公開されないという自由権的側面と、プライバシーの保護を積極的に求める社会権的側面の両方を持っています。

これならプライバシーが侵害されずに済みますね。


宴のあと事件では、プライバシーの侵害とはどんなものか、の判断基準を示しました。


宴のあと事件では、プライバシーの侵害とはどのようなものか、について3要件を示して定義されました。

私生活の事実と受け取られるような内容であること
一般人が当該私人の立場にたった場合、公開を望まないと感じる内容であること
一般の人々に知られていない内容であること

公開された内容が、上記3要件に反したらプライバシーの侵害があったと認められる、としました。
結果、宴のあと事件ではプライバシーの侵害があった、と判示しました。

この3要件はプライバシーの侵害を成立させ、法的救済が与えられるための要件です。

4 自己決定権


プライバシーの権利を自己の情報のコントロール権としてとらえると、それ以外にプライバシーないし私生活の自由として考えられてきたものを、自己決定権といいます。

自己決定権には、家族のあり方を決める自由、ライフスタイルを決める自由、生命の処分を決める自由、等があります。









わが国では自己決定権を正面から認めた判例は存在しません。

関連するものに「エホバの証人」不同意輸血損害賠償事件があります。


「エホバの証人」不同意輸血損害賠償事件では、原告は自己決定権の侵害を理由に損害賠償を求めました。

しかし最高裁は人格権という表現を使って原告の損害賠償を認めました。
つまり自己決定権を積極的に認めなかったのです。



【まとめ】
第2部 基本的人権の尊重
第7章 包括的基本権と法の下の平等
一、生命・自由・幸福追求権

1、憲法13条の幸福追求権は公共の福祉に反しない程度に幸福追求する権利を保障している。
幸福追求権は新しい人権を保障している。
 ・京都府学連事件では、判例は「肖像権」とまではいわないものの、 個人は容貌をみだりに撮影されない自由を有する、と判示した。
 ・幸福追求権は個人の人格的生存に不可欠な利益を保証する(人格的利益説)。

2、幸福追求権から導かれる権利は、プライバシーの権利、環境権、日照権、 眺望権、嫌煙権・・・、等々、多数主張されているが、判例が正面から認めたのは プライバシーの権利だけである。

3、プライバシー権はみだりに私生活を公開されないというだけでなく、 私生活に関する情報を収集されない、という自己に関する情報を コントロールする権利である。

4、 「エホバの証人」不同意輸血損害賠償事件では自己決定権が争われた。
判例は自己決定権を積極的に認めなかったが、人格権という表現を用いて原告の損害賠償請求を認めた。

                     ケンくんノート


第2部 第7章 包括的基本権と法の下の平等 一、生命・自由・幸福追求権 おしまい

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